暗愚楽月報
The Underground Disc Review
第62号

不Juneな動機で今日も買う
六に当たらずムキになる。
「良く水無 月るぞ財布の中身」
せ梅雨されますみんなから

Editer's Note

今月の金賞(D'OR)


★★★★★
Bill Risby Trio "Looking Up" (William Risby : WAR1003)
@seek and you will find Alooking up Blet me off! CSomalia Daway with you Emass for Almassy/prelude VIII Flost Ga gift HI'll be seeing you
Bill Risby (p) Gary Holgate (b) Hamish Stuart (ds)
これは素晴らしい。リーダーは三歳でピアノを始め,史上最年少でニュー・サウス・ウェールズ音楽院(の幼年部)ピアノ科へ進学。8才で奨学金を得てアルバート・ランダに学び,1987年にジャズ研究科の准学士号を得て高校を卒業しました。卒業前はバルトーク音楽祭でピアノを弾くまでに腕を上げ,卒業後はフュージョン・バンドを組んでシドニーを拠点に活動。マリア・シュナイダー楽団のピアノ弾きのほか,ボビー・シューやウイリアム・ギャリソンらとも共演。同郷のジョー・チンダらモと同様守備範囲はかなり広く,ディオンヌ・ワーウィックやフリオ・イグレシアスのバック・バンドにも居たことがあるそうです。放送音楽やオケのピアノ弾きに至るまで何でもこなしてご飯を食べながら,自分のアルバムは歌手の奥さんと仲良く,マイペースで自主制作。入手困難ばっかだから,話題にならなくても仕方ないですかねえ。本盤は2005年に制作したトリオ録音で,やはり自主制作。大した期待もなく聴きましたが,聴いてびっくり玉手箱。素晴らしいトリオ作でした。クラシック上がりだけに,基本は端正な叙情派。オーストラリアの他のピアノ弾き同様,どこか長閑な田園風景を思わせる詩情と,透明度高く硬質な打鍵。徹底して音数を削り,消え入りそうに情感を吐露する伏し目がちの視線が繊細なデリカシーを生み,耳をそばだてさせずにはおきません。芸幅の広い彼らしく,モタリの入った4ビートはほとんどゼロ。いわゆるジャズジャズした乗りの人ではありませんけれど,中身は一級品です。繊細なトーン・ポエム系の叙情派がお好きな方はぜひ。






Recommends


"Pini di Roma / Gli Uccelli / Fontane di Roma (Respighi) Psalmus Hungaricus (Kodály)" (Universal : UCCD3546)
István Kertész (cond) London Symphony Orchestra
指揮棒を執るイシュトゥヴァーン・ケルテスは,1929年ブダペスト生まれのハンガリー人。44才だった1973年,テルアビブで遊泳中に溺死してしまったため知名度こそ芳しくないものの,一部に熱狂的なファンを持つ通好みの指揮者です。リスト音楽院時代はコダーイに師事し,1955年にはブダペスト歌劇場の指揮者となりましたが,翌年にハンガリー動乱を迎え西側へ亡命。その後ドイツを拠点に数年間を送り,やがて1965年から3年間,ロンドン交響楽団の首席指揮者となりました。本盤はこの時期に吹き込まれたもので,お師匠さんのハンガリー詩篇を併録。最初の亡命先にドイツを選ぶことからも伺えるとおり,吹き込みの大半がブラームスやモーツァルトなどのお堅い演目だった彼としては珍しいレスピーギの,それもローマ三部作のうち2編だけを吹き込んだ奇妙な選曲が光ります。仏もののない彼は,当方にとってはあちらの世界の人。大した期待もなく耳にしたことを白状せねばなりません。蓋を開けてみれば,まさに生気漲る名録音でした。レスピーギにおける彼のタクトは,とにかく平明で抜群に見通しが良い。勿体ぶって捻り回すことなく,明快なリズムと歯切れの良いテンポで,てきぱきと相貌を描き出す指揮です。かなり速めのテンポを取った「ボルゲーゼ荘の松」や「ジャニコロの松」における,整然と配された拍節の眺めの良さとオケの作り出す精気の豊かさは爽快ですらあり,しかも決して通俗的な安っぽさに流れない。譜読みに余程の自信が無ければ,こうすっきりとは振れないと思います。良い指揮者ですねえ,感服しました。ラヴェルなんかを振ってくれたら,面白いことになったでしょうけれどねえ。★★★★★
Gian Francesco Malipiero "The 8 String Quartets" (ASV : CD DCD 457)
Orpheus String Quartet : Charles-André Linale, Emilian Piedicuta (vln) Emile Cantor (vla) Laurentiu Sbarcea (vc)
管弦楽に関してはマルコのお陰で随分潤沢になったマリピエロも,他ジャンルとなると品薄なまま。かつては当代音楽の旗手として,ジャン・ロイにわざわざ一章を割いて言及された彼も,こうして全集を録音してもらえたのは死後。可哀相ですねえ。8つの弦楽四重奏曲は,いずれも六人組的な素っ頓狂さをリズムと多調風の肉付けにとどめながらの,穏健なポスト・ロマン派音楽といったところ。この辺りの案分は,エンリコ・ボッシの弟子でドイツ留学経験者,それでいてパリでストラヴィンスキーと親交を結んだ彼の,微妙なバランス感覚の為せる技なのかも知れません。ドビュッシスト的な管弦楽よりも,そうした微妙なスタンスが色濃く出ているところに面白みを感じることができましょう。六人組でいえば,尤も地味で「素朴なラヴェル」的な筆運びを誇るデュレの耳当たりに近いでしょうか。よりオリック・カラーを強めたカゼッラのようなインパクトこそありませんけれど,いかにもこの人らしい堅実な筆致は好ましいの一言です。演奏は高度な連携と確かな錬磨に支えられ,適度に熱っぽい美演。演奏するオルフェウス四重奏団は1987年に結団された,デュッセルドルフが拠点の四重奏団。結団の翌年ヴァレンチノ・ブッチ国際室内楽コンクールで入賞。1990年のクリングラー国際,1993年の大阪国際室内楽コンクールにも入賞して評価を高める傍ら,1991年に世界初録音となった本マリピエロ全集を発表し,1993年のシャルル・クロ賞を受賞しました。現在では創設時のメンバーの半分は抜けてしまいましたが,なおも精力的に活動なさっているようです。★★★★★
Darius Milhaud "Le Création du Monde / Suite pour Violon, Clarinette et Piano / Sonate pour Deux Violons et Piano / Saudades do Brasil" (RCA : 74321 80132)
Eric Le Sage (p) Tedi Papavrami, Raphaël Oleg (vln) Christophe Gaugué (vla) François Salque (vc) Paul Meyer (cl)
どことなくガーシュイン臭い『世界の創造』は,初期ミヨーのシュールな多調性と,後期の穏健な新古典的ロマンティシズムが同居。過渡期の香りが愉しめる佳品。いつものミヨーならばこの辺を分水嶺に,番号の若い『ソナタ』と『ブラジル』はシュールでケバい方向へ,番号の多い『組曲』はカラフルな田舎紳士へと相場が決まっておりまして。実際,『組曲』は後期ミヨーの長閑な田園音画と新古典的形式感を好む向きにはまさしくビンゴ。南仏の穏やかな風を感じさせる和声とリズムの衣をまとったバロック情緒。「どれを聴いても金太郎飴」などと無粋を言うなら聴くな!と啖呵も切れる中毒性満点の至芸に快哉。管,弦,鍵盤とバラけたお陰か演奏も非常に良くまとまっていうことなしです。しかし,本盤最大の拾いものは,作品番号僅かに15の最初期作品『二台ヴァイオリンのソナタ』でした。後期情緒をそのままに,師匠筋の気品を上乗せしたこの作品。遙かに有名な併録曲も一瞬にして霞む健筆。彼がなぜ金太郎と誹られつつかくも多作を誇ったのか。若くして出来上がっていた作曲職人だったのだと,この作品で思い知った次第です。演奏陣は一部参加のポール・メイエとエリック・ルサージュ以外は初耳でしたが,ほぼ全員がパリ高等音楽院のプルミエ受賞者という豪華さ。唯一の例外なチェロ奏者もローザンヌ国際優勝者ですので,私如きがヘタクソなんて言えるわきゃございません。しかし,これだけの腕利きが揃った割には,弦楽合奏の『世界の創造』はやや肌理粗く,お世辞にも感心できませんで。「一流のソリストこれ一流のオケ団員ならず。ソリストとして一流だからといって,一流の合奏が生まれるとは限りません」などという,どこかの教科書に書いてあるような文句が頭を過ぎった次第です。★★★★☆
"Quatuor avec Piano en La Majeur (Chausson) Quatuor Inachevé (Lekeu)" (Fnac : 592194)
Quatuor Kandinsky : Claire Désert (p) Philippe Aïche (vln) Nicolas Bône (vla) Nadine Pierre (vc)
フランスの大手通販サイト【フナック】ってCDも作ってたんですか「へぇ〜へぇ〜」な本盤は,パリ音楽院室内楽科でジャン・ユボーに師事し,仲良く各科でプルミエプリを獲った四人組のアンサンブル。とはいえ,ユボーの受け持ちは基礎科のほうでしたから,ピドゥの上級クラスに進んだ彼らがそこでもプルミエだったかは,また別問題であることにも注意が必要です(笑)。演奏はさすがに高品位。評判の良いヴァイオリンは,なるほど熱情溢れる美音なうえ,曲調への共感も豊かで素晴らしい。その反面,ショーソンを聴くに僅か細部のピッチが甘いのも事実。諸手を上げて賛美とは行かないのでは。個人的にはむしろピアノを弾くクララお嬢様(ハイジを意識:笑)の地味ながら堅実な伴奏の方が気に入りました。悲壮な情熱がほどばしるルクーではヴァイオリンも頑張り,かなりの美演。改めてええ曲やなあと感動しつつ,もう一つの関心事は併録のショーソン。初耳なピアノ四重奏曲は,第一主題は何となく無理矢理感が漂うものの,その敷衍の巧さといい,品格と色気のバランスといい,良く工夫されている。優等生的だった彼も,晩年はようやく自らの調合でロマンの薫りを立てることができるようになったんだなと頬が緩みました。貴族子女系の危うい色香と熱情が溢れた筆致です。ちなみに本盤,その後廃盤になったぽいですが,ヴァージンが版権を買ったようで,現在はカスティヨン,サン=サーンスのピアノ四重奏と抱き合わせた二枚組の廉価盤で聴けます。好きな人にはオトクだと思います。★★★★☆
Ottorino Respighi "Church Windows / Brazilian Impressions / Roman Festivals" (Telarc : CD-80356)
Jesús López-Cobos (cond) Cincinnati Symphony Orchestra
一般にはブルックナーやラフマニノフの録音で知られるロペス=コボスさん。しかし個人的には,ローザンヌ室内と吹き込んだマルタンの『旗手』だけで「できる指揮者」認定。あの録音はそれくらい衝撃的でした。彼は,1986年から2001年までの長期に渡ってシンシナティ響の首席指揮者となります。本盤はこの時期に録音されたレスピーギ連続録音のひとつで,1994年刊。古典と革新の両天秤の間で右顧左眄する作曲者の顔を,三編でナウっちく切り抜き,購買意欲をそそります(笑)。『教会のステンドグラス』は,時にスペインやイタリー,時にユダヤ風の土着民謡を思わせる悲哀に満ちた主旋律と,適度に色彩的な和声が巧く絡まった佳品。ロパルツ辺りのポスト・ロマンティストが書いたと言われても違和感がない第二楽章や,冒頭部にローマ三部作そこのけのドビュッシズムが感じられる第3楽章は歌心満点で魅力的。三部作で有名になってしまったため,必要以上にモダニズムの推進者と見なされる彼ですけど,実際の所はイタリア版ロパルツみたいな筆致が持ち味だったのかも。そうした彼の立ち位置を最も良く表した作品でしょう。併録の『ブラジルの印象』は,標題が物語るとおり,『映像』時代のドビュッシーそっくりのゆらゆら語法がふんだんに使われ,被れたのがありありと伺える作品で美味しいです。シンシナティ響は,弦部の音色こそ少しハスキーで癖があり,録音が優れているぶん目立ちもしますけれど,コボスさんの指揮で相殺。抑揚豊かでいて嗜みの利いた曲弄りはバランス感覚良好。技術的にはオケもレベルが高く,録音もよろしいのではないでしょうか。★★★★☆
Ottorino Respighi "Belfagor Overture / Toccata / Tre Corali / Fantasia Slava" (Chandos : CHAN 9311)
Edward Downes (cond) Geoffrey Tozer (p) BBC Philharmonic
王立歌劇場の首席指揮者だったシェルヘンの弟子ダウンズさんとBBCフィルは,1980年からの長い付き合い。のち名誉指揮者にもなったほど蜜月の関係。そんな両者がひと頃,取り組んでいたのがレスピーギの連続録音で,結局6枚の成果を残して完結しました。本盤もその一枚で,めちゃんこ腕の立つ豪州人ジェフリー・トーザーが二編のコンチェルトで助演。顔触れ最強で演奏もピカイチでいらっしゃると思います。比較的晩年の作品が並んでいましたので,或いはと思って買ってみましたが,中身は至って保守的。『トッカータ』は,国民楽派〜ロマン派中間様式のピアノ協奏曲。リストやチャイコから壮麗さを削り,そのぶん土臭いヒロイズムを少しミックスしたような書法は,これが晩年の作とは思えないほど懐旧的です。『3つのコラール』もこの雰囲気を継承。ドイツとスラヴを足して二で割ったような暗く土臭い曲想は,およそイタリアの作家が書いたとは思えません。東欧やロシアの重々しさを香り付けされた,壮麗な爛熟期ロマン派協奏曲と管弦楽のてんこ盛りと聞いて,触手の動く貴方なら,素敵な買い物となるのではないでしょうか。近代ファンにとって唯一のお楽しみは,併録された『ベルファゴール序曲』か。題材が人心を惑わそうと企む小悪魔を題材にしているからか,導入部は彼にしては斬新。時にストラヴィンスキさながら無調やバーバリズムを伺わせる導入部を抜けると,みるみるカラフルな音絵巻が眼前に拡がり,私ならずとも川端康成気分。トンネルを抜けたら和声の花園だったと感嘆符が付くこと請け合いです。★★★★
Ottorino Respighi "Ancient Airs & Dances / Aria from Suite No.2 / Berceuse for Strings" (Chandos : CHAN 9415)
Richard Hickox (cond) Sinfonia 21
シャンドスが進めたレスピーギ管弦楽の連続録音は,『ローマ三部作』しか聴かれない彼の知られざる顔にスポットを当てた好企画。本盤はその一つで,三部作の次にお馴染みの『リュートのための古風な舞曲とアリア』全曲を収録しています。普通ならこれだけで売り物にするところ,彼らはフルートと管弦楽のための組曲から「アリア」を抜粋し,管弦楽のための『子守歌』と並べて2曲を世界初録。好事家への目配りを忘れません。何しろメインの舞曲とアリアは古き良きバロック時代,文化の中心にいた故国への回顧の品。聴きものは併録の2品ということになります。2品とも1901年作のアリア。これ見よがしの近代色はありません。しかし,フォレの『マスクとベルガマスク』を思わせる典雅な情緒は快いの一語。同じアリアでいて,メインのそれとは和声の豊かさや繊細さが段違い。特に前者のアリアは,古典と現在の好ましい同居を模索した作者の美意識が実に良い形を結んだ佳品。これを聴いただけでも買った甲斐がありました。近代好き何でも上手にそつなく振る,ご存じプチ名匠ヒコックスは,本盤でもその真価をいかんなく発揮。たっぷり抑揚を利かせながら,宮廷情緒を損なう弄り回しを巧みに排した指揮はまさしく名人芸です。寡聞にして良く知らないアンサンブルは,1989年に結団されたダックランド・シンフォニエッタが前身。その後ロンドンのインペリアル・カレッジのレジデント・アンサンブルとして活動中とか。あまり有名とは思えず,正直心配しましたが,演奏力はロンドン市立響並みかそれ以上。アーティキュレーションが僅かに雑とはいえ,十二分に原曲の典雅な魅力を伝えている。なにぶん古色蒼然とした『舞曲とアリア』ですので,月報上では高得点をあげるわけには行きませんけど,この曲がお好きな方であれば,お試しになる価値はあると思います。★★★★
"Symphonie Concertante (Gossec) Danses (Debussy) Introduction et Allegro (Ravel) Concerto dans un Style Ancien (Malecki) Concerto pour Deux Harpes (Françaix)" (Pavane : ADW 7337)
Susanna Mildonian, Catherine Michel (hrp) Alain Moglia (cond, vln) Orchestre de Chambre National de Toulouse
恐らく掉尾の二品を入れることが主目的だったと思われる本盤は,1996年制作。御大ドビュッシーとラヴェルを挟んで,前近代と現代から二台ものを三品揃える趣向です。一番面白く聴いたのは,なぜか一人非仏人で抜擢のマシェイ・マレッキ。本盤のミルドニアンさんが初演した曰くつきで,こういう機会でもないと日の目を見ることはなかったでしょう。1940年ポーランド出身ながら,作風はどこまでシャレなのか分からぬほどのバロック大好きっ子。和声や移調感覚,リズムが妙にナウっちいのを除けば,第一楽章はビバルディかと錯覚するほど模範的にバロックります(苦笑)。第二楽章でソロ二名のカデンツァと主題提示が終わった瞬間いきなりキモチワルくポリモード化するところを見ても,標題にわざわざ「古風な形式で」なんて書くところをみても,バロック詣ではフランセ的な政治的意図を多分に含んでいるんでしょう。でも,ポーランド人とは思えないほど洒落ており,隠れた佳品じゃないでしょうか。ソリストは達者。上手いのも道理。パリ音楽院でジャメから一等賞を貰い,三大ハープコンテストを総なめにした凄腕さんでした。イタリア出身でもあり,ドビュッシーの独奏はマッシブ過ぎるものの,フランセやマレッキの独奏は素晴らしいです。それだけに残念なのは,『クレーヴの女王』も吹き込んでいるご存じトゥルーズ室内管とモグリアさんの伴奏。ノー・エフェクトの録音も相俟って雰囲気は良いんですけど,やっぱり粗さは隠しようがないようで,音はザラザラ。ソリストも伴奏もひたすら速弾きさせられるフランセでは,ピッチがヨレたりビブラートの波形が乱れたり。このオケはいつまで経っても,細部の粗さが解消できませんねえ・・。これが無ければあと半星はやれたでしょうに。勿体ない。★★★★
"Suite, op.5 (Duruflé) Triptyque (Langlais) Aria / Chorale Prelude / Paraphrase (Peeters)" (Unicorn-Kanchana : DKP(CD)9077)
Jennifer Bate (organ)
ソリストのジェニファー・ベイト女史は1944年生まれのイギリス人。英国音楽協会の副理事長も務める彼の地の重鎮です。ブリストル大学へ進み,1961年から1962年に掛け,オルガンと作曲法をエリック・シーマンに師事しました。彼女はメシアンが晩年,非常に信頼を寄せていたオルガニストとしてその筋のファンには知られ,メシアンの自筆譜の多くを貰って所蔵。メシアンの指示を受けながら作られた彼女のメシアン録音は,各国の音楽賞をバカスカ獲りまくることになりました。本盤は1982年にボベの聖ピエール教会で,ほぼ同時期に進められていたメシアンのオルガン曲全集の合間に吹き込まれたもの。ジョンゲンの弟分みたいなペーテルスと,未架蔵だったデュリュフレの組曲を聴きたいがために購入しました。ヴィエルヌとトゥルヌミール世代の分水嶺上でキラキラ和声を光らせるデュリフレは,予想通りの筆致で快哉。オルガン協奏曲から後ろの管弦楽を抜いたような煌びやかな和声が美しいペーテルスともども佳品で二度美味しい。独奏するベイトさんは,女性らしい柔らかな指で,すっきりと理知的に音符を積み上げる端正な演奏が好印象。飛んだり撥ねたりする扇情的なオルガニストではなく,すっきり端正に演奏をまとめ上げるタイプです。インテンポでかっちりと拍動の刻まれる楽曲では,その美点が最高度に発揮されており,実に好ましい。それだけに残念なのは,せっかくの端正な粒立ちのアルペジオを塗り潰しぎみにする,残響の多いモフモフ系の集音ですか。これがなかったら,もっと素晴らしい録音になったでしょうに。ちょっと勿体ない。★★★★
Ernö Dohnányi "Piano Concerto No.1 in E Minor, op.5 / Piano Concerto No.2 in B Minor, op.42" (Hyperion : CDA66684)
Fedor Glushchenko (cond) Martin Roscoe (p) BBC Scottish Symphony Orchestra
次男が,あっしのような平民でも名前くらいは知ってる有名人な作曲家エルネ・ドホナーニは,1877年ポジョニ生まれ。当時の作曲家志望者お約束のコース(ブダペスト音楽院でケスラーに師事)を辿った彼は,終生独襖セントリズムに立脚。同窓生にバルトークがいたとは信じられないほど懐旧的な書法を堅持しました。そのせいか,こんにち作曲家として語られることはほとんどなく,専らゲザ・アンダやアニー・フィッシャー,フリッチャイやショルティらを輩出した教育者としてのみ知られているに過ぎません。代わりに生前は評価されたようで,音大卒業の翌1898年,共に夏期休暇を過ごした友人のピアノ弾き兼作曲家ダルベールに書いたピアノ協奏曲第一番(本盤に入ってるヤツ)でベーゼンドルファー賞をもらいました。ドイツ名(エルンスト・フォン)もお持ちで,収録曲は律儀にも調性指示。この時点でまあ,結果が見えてるっちゃあ見えてるんですけどねえ・・。既に結末を先読みしてニヤついてるそこのあなた!そうだよその通りだよ!のモロ・ブラームスです。どっひゃ〜!最近こういうの,だいぶ免疫がついて許容範囲が広がったと自負するあっしでございますが,さすがにここまで教条的なのはあきまへん。これじゃ没落貴族子女的な諦観すらないぢゃないかっ!まだ平民をこき使ってた高木美保の鞭音しか聞こえません(意味不明な貴兄は華の嵐参照)。スコットランド最強の楽団に,ナクソスのシマノフスキ録音で気を吐いたロスコーさんが打鍵。演奏レベルは高いだけに,個人的な嗜好が受けつけずこんな評価しか挙げられないあっしをお許し下さいと変にマゾな精神状態になってしまうこの心理こそ,きっと100年前,高木美保に踏まれた小作人の胸懐そのものでありましょうよ。民主主義万歳。第二次大戦後に書かれた二番がサン=サーンス臭くて見事許容範囲だったことも加味し,この星で勘弁して頂戴ませ。★★★★



Other Discs

Florent Schmitt "Musiques Intimes I et II / Trois Valses / Pièces Romantiques" (Talent : DOM 2910 123)
Angéline Pondepeyre (piano)
品薄だったシュミットのピアノ曲集も,近年徐々に録音が増えてきて有難い限りです。今度はマルメゾン音楽院でピアノ科の先生をやってるらしい仏人女流の手になるピアノ曲集が出てきました。パリ音楽院ではプルミエが取れず,国際的な受賞歴も見あたらないこの御仁。それが名演の必須条件ではないとはいえ,こちとらを不安にさせる十分条件ではあるこの無情。どこかで名前を聞いたと思ったら,随分前にご紹介したマゲローヌ盤のラヴェル歌曲集(歌唱はディディエ・アンリ)で伴奏をしていた人でした。B級の臭みが抜けないタレント社の看板はここでも健在。どこかの木造講堂で素人が録ったかのような,不自然にピアノとの距離感を感じる集音は垢抜けしませんし,ピアニストは蠢動系のリズムや技巧的なアルペジオを要求される途端にモタモタ運指が重くなり,ペダルで回転不足を必死に隠しているのがありありと分かってしまう程度の腕。それでも,さすが歌伴で食ってきた御仁。多少間延びしてはいるものの,緩やかな曲調における適度に柔らかさを残した情感表現には徹頭徹尾嫌味がありません。題材選びもかなりクレバー。作曲者がまだフォレ門下の薫りをたっぷり残す時代のものゆえ,緩やか目のテンポ多く,技量不足の露呈を素材で押さえ込むことに一定の成功を収めています。『ひそやかな音楽』は某ルトガース大博士の演奏と被りますが,腕前はどんぐりの背比べ。ということで,呼び物は作品番号31のワルツ集と42番の小品集。前者は20世紀に入って程無い頃の作品で,恐らくはドビュッシズムにショックを受けた直後でしょう。後年の野蛮蠢動リズムがあまり顔を出さず,映像を思わせるモーダルな節回しと,爛熟ロマン派の形式感が微妙にせめぎ合って形作られる過渡期の筆運びは,時代に翻弄される没落貴族の子女のようで,儚くも妖艶な美しさです。★★★☆
Ottorino Respighi "Sinfonia Drammatica" (Naxos : 8.550951)
Daniel Nazareth (cond) Slovak Philharmonic Orchestra
僅か3楽章で一時間に及ぶこの大曲は,1914年に書かれたもの。一面に師匠コルサコフ経由の豊かな和声を援用しつつも,ローマ三部作の時期に掛かっていた割には,筆運びはかなり保守的。歌劇仕立ての壮大な曲想はワグナー丸出し。独襖系の仰々しさがたっぷり乗っています。おそらく「劇的」は帯の釣書きのいう「ドラマチック」よりは,「歌劇作品ぽい」の意味でしょう。彼が復古主義へと向かうのは聖チェチーリア音楽院に就職してからですので,この時点までは留学先のドイツを形式面で,師匠の影響を和声面でフォローした筆致になるのは自然なのかも知れません。ワグナーを意識し,大上段に振りかぶろうとしたからでしょうか。どことなく歩幅を無理に大きく取っているような大味さが随所にちらつく感は拭えません。それでも,若く達者な修学者の横顔を見せてくれる作品ではありましょう。演奏するはご存じ,マルコ最凶の駄目オーケストラことスロヴァク管(失礼)。本盤もマルコ盤の転売なのが見え見えで,最初から演奏には期待していませんでした。しかし意外にも,蓋を開ければなかなかの好演。もちろん,A級オーケストラほど一糸乱れぬ演奏とは行くはずがありません。それでも演奏は抑揚があって共感に富み,このオケにしてはアーティキュレーションも高い水準で統率されている。恐らくは,マルコ的に初耳の指揮者ナザレスによるところが大きいのでしょう。彼はムンバイ出身のインド人で,元々は経営学を専攻していた変わり種。その後王立音楽大学に留学し,ボールト杯を得てウイーン音大へ。1975年の修了した翌年にはバーンスタイン奨学金を得て,1978年のアンセルメ国際コンクールで入賞なさったりしていたようです。その後,国際舞台から姿を消したようですが,お国に帰られちゃったのかな?★★★☆
"Fables de Jean De La Fontaine" (Accord : 205222)
Michèle Lagrange (sop) Bernard Desgraupes (cond, arr) Ensemble Erwartung
真っ白の地に迷い出た狐一匹。真っ当な音盤には見えない本盤は,フランス人ならみんな知ってるジャン・ド・ラ・フォンテーヌゆかりの歌曲を,アンサンブル・エルワルトンの指揮者さんでいらっしゃるベルナール・デグローペさんが,室内楽伴奏版に編曲して集めた企画盤。フォンテーヌは,イソップ物語などを元ネタに,動物たちによる機知に富んだ会話から処世訓を語る『寓話』の作者。誰でも一度は耳にする諺「全ての道はローマに通ず」の生みの親と言えば,どのくらい有名人かは何となくご想像いただけるのではないでしょうか。そうといえば同じアコールから出たカプレの歌曲集にも彼の「5つの寓話」が収録されてました。思わず期待し手に取ったものの,採録された3名中2名はサン=サーンスとオッフェンバック。多くを期待できない顔触れです。ということで,購入理由は残る一名,ミシェル・ルコックの8曲。しかし・・僅かな期待も最初の一曲で儚く粉砕。フォレよりも老けてる1932年生まれは伊達じゃござんせん。庶民的かつ軽音楽的な節回しのロマン派歌曲。子ども向け文学な題材のせいもあるのでしょう。とにかく軽いです。オペラ爛熟期に保守派の道を生きた作曲家たちだけに,転調技法の洗練に近代の香りを含ませようとか,繊細な和声の中で進取の気性を発揮しようとかいう高邁なる意図も全くなし。教条的な連中による,教条的な教条のスリーカード。見事にブタ(ドン・プルソー)を引き当ててしまいました。星の数は,跳躍の多い主旋律を,時折怪しくなりながらも歌いきるソプラノさんと,デュレ室内楽作品集で高精度をアピールしたかのアンサンブルの演奏が良好であることだけに立脚するものです。★★★☆








Recommends


Dexter Gordon "Daddy Plays the Horn" (Bethlehem-Nihon Columbia : COCY-78643)
@daddy plays the horn Aconfirmation Bdarn that dream Cnumber four Dautumn in New York
Dexter Gordon (ts) Kenny Drew (p) Leroy Vinnegar (b) Lawrence Marable (ds)

だ〜れも見向きもせんようなCDばっか聴くようになりますと,「今買わないと次はないぞ」がそのまま購入動機になったりもするわけでして。そういう動機でばっか買っていますと「いつでも買えるよな・・」なアルバムは後回しになってしまうわけでして。ご存じのっそりテナーことデクスター・ゴードンの代表作とされる本盤も,100円コーナーの中に放り込まれているのを発見するまでは買う気ひとつございませんでした。1950年代のデクスターは,その大半を麻薬渦で棒に振り,単独名義でのリーダー盤は本盤とあと一枚(同じ1955年録音の『デクスター・ブロウズ・ホット&クール』)しか残せず終い。元々,彼の出発点はレスター・ヤングで,活動の拠点も西海岸でした。本盤も,脇を固める三名のうち2人はご存じ西海岸最強のリズム隊。タイトで乾いたリズムを粛々と繰り出している。ピアノのケニー・ドリューまでもが,クロード・ウィリアムソンかカール・パーキンスかと見紛うほど端正に,コード感豊かなプレイを披露しており,伴奏は折り目正しく推移します。ところがですねえ,そんな伴奏を向こうに回した本人,いつの間にかふてぶてしい居住まいの勝新太郎に豹変してるじゃありませんか(笑)。バッキングの生真面目な拍節を悠然と踏み散らかしながら,ぶっきらぼうなトーン・コントロールと野太い音色でやくざに吹く。その様は,ずっと野太く恰幅が大きいことを除けば,どこかJRモンテローズを彷彿とさせる。麻薬のお陰か,その大儀そうな吹きっぷりが堂に入っているうえ,とにかくフレーズが歌うこと歌うこと。可愛らしいジャケットとドスの利いた中身のあまりのギャップに笑うしかありませんでした。ちなみに本盤,現在は1000円で再発されているようです。いい時代になりました。★★★★★
Putte Wickman & Jan Lundgren "We Will Always be Together" (Gazell-Spice of Life : SOL GZ-0002)
@we will always be together AI remember Bill Bsecond time first Cspring can really hang you up the most Dcon alma EMarlow's theme Fsail away Gjust a child
Putte Wickman (cl) Jan Lundgren (p) Jesper Lundgaard (b) Alex Riel (ds)
本録音からわずかわずかに一年と数ヶ月。2006年のバレンタインデーに世を去ったプッテ・ウィックマンは,1924年ファルン生まれのスウェーデン人。弁護士にしたかった両親を言いくるめてストックホルムの高校へ進学。母からクリスマスの贈り物にクラリネットを貰ったのが運命の分かれ道となり,あとは一直線にジャズの道へ。ベニー・グッドマンやアーティ・ショウをアイドルに独学でクラを修得し,数年後には日刊紙【エクスプレッセン】から将来を嘱望される演奏家に選ばれるほどの腕利きに成長。その後も地味に活動を続け,王立スウェーデン音楽アカデミー委員を長年務めたほか,1994年にはスウェーデン政府から国民栄誉賞にあたるイリス・クオラム金メダルをもらっています。ご存じラングレン・トリオに客演ということで,私を含む購買者の9割は後ろのトリオがお目当てだと思われますが,聴いてびっくり玉手箱。これが1年半後お亡くなりになる爺さんですかと,目ん玉飛び出るほど巧い。スイング・エラの巨人を聴きこんで育っただけに,彼のクラは柔らかく科がたっぷり利いており,音色もフレージングも実に洒落ている。おまけに高齢者特有のピッチのヨレはほとんど感じられず,肺活量の衰えも充分コントロールでカバーできています。彼に敬意を表し大人しく寄り添うラングレン以下を向こうに回しての,堂々たる貫禄に参りました。欲を言えば,もう少し即興が濃密だったら良かったことと,リアルさを追求してかラングレンのペダルがやたらでかく録られていることですか。@なんて,ちょっと煩い気がするんですが。★★★★☆
Nicholas Payton "Nick@Night" (Verve : 314 547 598-2)
@beyond the stars Acaptain crunch Bfaith Cpleasant dreams Dinterlude#1 Enick@night Fsomnia Ginterlude#2 Hprince of the night Iblacker black's revenge Jlittle angel Kexquisite tenderness Lsun goddess
Nicholas Payton (tp, flh) Tim Warfield (ts, ss) Anthony Wonsey (p, cel, hpcd) Reuben Rogers (b) Adnis Rose (ds)
最近あまり名前を聞かなくなったな・・と思っていたご存じポスト・マルサリスの筆頭格ペイトン君の2000年作。腕の良さは折り紙付きながら,ウイントンの忠実な僕でもある彼は,師匠のケツを追っかけて自分も途中からファンキーにディキシー。「何も敬愛する御大がニューオリンズ礼讃だからって,金魚の糞みたくそれを踏襲せんでも良かろうに・・」とゲンナリさせられる小賢しい面もある人です。実力者だけに決して詰まらなくはないものの,自分のコンボを持って録音した前作『ペイトンズ・プレイス』はそうした小賢しさが勝ってしまい,バンドも小粒で隔靴掻痒。それっきり興味が薄れてしまい,彼のリーダー盤は聴いておりませんでした。本盤も,大した期待もなく手に取ったと白状せねばなりません。しかし,中身は意外にも良質。音楽性においてもアンサンブルの面でも,随分とまとまりが良くなってます。相変わらずやや小粒でウネついた音色のティム・ウォーフィールドは,それでもあからさまに足を引っ張っている感じは薄れましたし,太鼓は軽量級ながら小気味良くリズムを刻み,ベースもゴリッとタイト。ピアノもチェレスタを弾き分けなど変なことやってるのに,アンサンブルとしてすんなり溶け込み違和感がありません。ペイトン君も一段とラッパの音抜けが良くなり,高域が気持ちよく鳴って快哉を叫びました。加えて本盤,楽曲が良い。伝承派第二世代(ラルフ・ピーターソン周辺)が作る,爽快なモーダル・ハードバップ直球勝負作品と同じベクトルを志向したことが方向性の明確化をもたらし,前作に感じた散漫さをかなり薄めることに成功している。その後またウイントンづいてしまったようですので,ハバードよろしくバリバリ今風サウンドを吹いている本盤は,案外貴重な一枚なのかも知れません。★★★★☆
Aldo Romano "Threesome" (Universal : 982 221-8)
@abruzzi Aghost spell Bfleeting Cblues for nougaro Dmanda Emurmur Fthreesome Gparadise for Micky Htouched!! Isong for Elis
Aldo Romano (ds) Danilo Rea (p) Rémi Vignolo (b)
【ドクター3】とかいう連名のトリオを仕切っているダニーロ・レア。活動歴が1975年からと長い割には,リーダー盤は最近まで殆ど出ませんで。くだんのドクター3くらいしか選択肢がありませんでした。2枚出た彼らの録音は,1998年とその翌年に,イタリア年間最優秀ジャズ作品賞ももらっているのですが・・。中身は曲数が異常に多く,組曲風に細分化され,演奏時間が短くてですねえ。おまけにリズム隊が元エンリコの2人。以前2枚の片割れを聴いて玉砕した経験があったため,いらい「ピアノは上手いのになあ・・」で敬遠しておりました。2004年に出た本盤は,ご存じイタリアの重鎮ロマーノのリーダー作。おまけにベースはレミ・ヴィニョーロ。同郷の凄腕フランク・アヴィタビレと四つ相撲のできる辣腕ベーシストです。作曲力の高いロマーノの楽曲と,腕利き三名の即興。脇役ならば彼も弾き放題にやるだろうとの読みは,半分正解。決して技巧派ではないながら,ソリッドな打鍵とフリー含みの鋭角奏法を披瀝するピアノには溜飲が下がりますし,ゴリゴリに録れているベースも軽々とグルーヴ。それだけにちょっと惜しかったのは,ロマーノさんの編曲ですか。さすが美旋律の人,個々の素材は歌心があって良く書けている。ただその反面,全体にやや(リズム上の)アレンジが過多過ぎる。このため特にフリー含みの楽曲において,予め定まったテンポとリズムに戻るタイミングを計っている様子が見えてしまい,空々しさが即興に乗ってしまいます。タイプは全然違いますが,ムータン・リユニオンやアンドレ・チェカレリのリーダ盤にも類似した傾向を持つものがありました。リズム楽器を嗜むものの性なんでしょう。★★★★☆
Eric Legnini Trio "Miss Soul" (Label Bleu : LBLC 6686)
@the Menphis dude ASuger Ray Bhome sweet soul Cfor all we know DJòga EHorace vorace Fla strada Gmiss soul Hdaahoud Iprelude to a kiss Jback home KLisbon stomp
Eric Legnini (p) Rosario Bonaccorso (b) Mathias Allamane (ds)
12年振りのリーダー盤を出しただけでもびっくりなのに,前作までとは別人の如く黒っぽいスタイルに変貌。「いぇ〜」と唸り声を入れてはクラップハンズを取る,作為的なまでの漆黒礼讃。それがベルギーの大排気量モード弾きのレニーニさんとなれば,本盤の評価が二分するのも道理。ブルースやファンキーなフィーリングを全面に出してグルーヴィな単音ソロを転がすようになった本盤のレニーニに意外性を感じている方が多いのも頷けます。根が真っ白けなところへ黒気取りで形から入ろうとするために,なかなか白黒を上手くブレンドして自分の色を出すところまでは行けず思惑ばかり先走る。底の浅さがちらつく結果に結びついているのも確かです。しかし,過去のピアノ・トリオをちゃんと聴いておられたかたなら,本盤の変わり身に首を傾げることはむしろ少ないはず。意味不明な方は今一度トリオの代表作を引っ張り出してみましょう。彼に最も欠けていたのは,テクニックではなくフィーリング。上手いがゆえ整然と綺麗すぎ,白河の清きに魚の棲みかねるピアノだったことを,他ならぬ彼自身が一番痛感していたんじゃないでしょうか。こなれた黒っぽいフィーリングを出すのに一度でも不自由をした経験のある方は,きっと本盤の彼を好意的に聴くでしょう。これに続く彼の先を見て,長い目で評価してあげたほうが良い作品じゃないかと思われた次第です。従いまして個人的には,黒人ピアノのルースさと,彼の持つ大排気量モード弾きとしての技量が,最もいい形でブレンドされたEがベスト・トラック。彼の目指す新大陸の遠景をこの1曲に見て,私的には本盤,「○」です。★★★★☆
Jean-Christophe Cholet / Mathieu Michel "Benji" (Pee Wee Music : PW 18)
@benji Ajust for Juju Bquand un jule il y a Cl'unjia incarnada Dpeu chères Ea child is born Ftandem GKendelle's melody Hsérénadia Iwhen I fall in love Jmecs
Jean-Christophe Cholet (piano) Mathieu Michel (flugelhorn)
このジャケットを見て購買意欲をそそられるヤツがいるのかとデザイナーに問い質したくなる本盤は,お馴染みジャン=クリストフ・ショレがドイツ人ラッパ吹きと組んで1998年に制作した二重奏盤。聴くのは初めてのラッパ吹きは,1963年フライブルク出身。ウィーンとベルリンでアメリコ・ベロットに師事し,1986年にウォルター・ノリスを迎えた初リーダー作『ブルーライト』を発表。元々二重奏が好きな人らしく,本盤を出す前はユーリ・シェーラーと懇意にして,二枚の二重奏盤も吹き込んでいる。ティエリー・ラングやマルセル・パポーとも共演歴があるので,恐らくはパポー経由でショレと知遇を得たのでしょう。中身はトーマス・スタンコやケニー・ホイーラー系の切々したフリューゲルホルンに,ジョン・テイラーの影響を色濃く感じさせるショレのピアノが絡む思索的な二重奏。スタンダード二三曲を除き,ほとんどをショレが自作。イニシアチブは彼が握っていた模様。内部奏法も出るフリー・フォームのCFなんかはいかにも強面な彼らしいですけど,まだ無名時代で若かったからか,はたまた二重奏の制約からか,音楽性はショレのいつものアルバムよりずっとリリカルで具象的。聴きやすいトーン・ポエムです。名前の出た師匠筋二名(テイラーとホイーラー)が絡んで出来そうな,かっちりした輪郭とリズムのECM叙情派音場。それを想像していただいて触手が伸びる方であれば,大きな違和感はないんじゃないでしょうか。★★★★☆
Francis Lockwood Trio "Nobody Knows" (Label Ames : AM5002)
@tap dance Asolar Bnobody knows CHermeto blues Dtatau Eup from the skies Fnuages Gfire Hsakura IJean Sébastian Jlazy bied: part 1 Klazy bird: part 2 Lballade de Johnny Jane Mà Paris
Francis Lockwood (p) Michel Zenino (b) Benjamin Henocq (ds)
仏を代表するジャズ・ヴァイオリニストとして知られるディディエ・ロックウッド。彼が1970年代に,やたらプログレに肩入れしてあちこち顔を出していたのはご存じでしょう。彼のお兄さんで,かつてヴォルコルなるプログレ・バンドを共に組んでいたのが,本盤の主人公フランシスさんです。日本では『ジミズ・カラーズ』で専ら有名になってしまったため,ジャズ・ピアニストと思っている方が多いようですが,斯様な次第でむしろ実態はジャズもできる鍵盤奏者に近い。トリオ演奏で形の上ではジャズな本盤でも,ひとたびソロを転がせば,彼のピアノのルーツがジャズにはないことを容易に伺える。ロックやカントリー,ブルースやブギウギなど,周辺領域のスタイルを自由に取り込み,些か下品なまでにシンコペーションを効かせて芝居っ気たっぷりに弾く。頻繁にテンポの変わるリズムにモタリや4ビートの縛りは殆どない。この辺りは,彼が1980年から一年間マグマに在籍していたこととも関連するでしょう。惜しむらくはピアニストとしての腕,もうひとつですか。単音ソロになると途端に馬脚が現れて,フレーズがもたつくこともたつくこと。両手をフルに使って,オーケストラルな和音をたたき込む派手な奏法も,裏を返せばコロコロ単音転がすよりずっと楽だからに他なりますまい。それでも,作曲を含めたセンスと名盤作る気満々の即興でこれを相殺。「トルコ風ブルー・ロンド」のリフを派手に引用して大見得を切るCは,そんな彼の真骨頂なのかも知れない。その後も本国の彼への評価は冷淡なようで。Hは本国よりも遙かに『ジミズ・カラーズ』を珍重してくれた日本のファンへの感謝の印かも知れませんねえ。★★★★
Nina Ferro Meets Joe Chindamo "Tender is the Night" (Newmarket Music : NEW 3085.2)
@over the rainbow Amy blue heaven Bmoon river Ceast of the sun Dstardust Emoonglow Fcheek to cheek Gfly me to the moon Hcome rain or come shine Imy foolish heart
Nina Ferro (vocal) Joe Chindamo (piano)
間違いなく日本でのほうが良く知られているであろうチンダモさん。澤野効果で懐も豊かになり,録音も随分潤沢になったようで。2001年にはメルボルン在住の女流歌手と,歌伴ものを吹き込んでました。初耳のニーナ・フェローさんは,1994年のモンサルヴァート・ヤルンバ賞受賞者で,録音当時は26才だった若手女流ジャズ歌手です。ヴォーカルものを滅多に聴かないあっしには良く分かりませんけれど,ピアノの世界がそうであるようにジャズ・ヴォーカルの世界も,昨今技術偏重が進んでいる模様。この女流歌手も,テクニックや声量はほとんど完璧で,昔の某白人歌手(誰とは言わないがヘレン・メリルとか)より歌い手のしての技量は数段上。白人らしい理知的な佇まいを崩さぬまま,適度にブルージーなソロを絡めていくチンダモさんの伴奏も,トミフラそこのけの旨味があり,演奏の輪郭だけ取れば実に雰囲気良く仕上がっている。ところがですねえ。これだけ見映えが整っているのに,どういうわけか,さ〜っぱり滲みて来んのですよ(苦笑)。彼女の歌唱,誰かに似てるなあ・・と思って聴き返すこと二度。「ああ〜」と膝を打ったのが,以前ご紹介したジャニス・シーゲルです。映画『バグダット・カフェ』主題歌を歌ってた人(ホリー・コールでしたっけ?)にも酷似。見事にコントロールされた喉で,旋律の隅々まで神経を行き渡らせ,見事に節を回す。心憎いほど達者。しかし,仏は作れても魂は抜けている。ミュージカル歌手の如き雄々しさで,自信満々に健康美を振りまき我が世の春を謳歌する乙女。今が盛りの彼女に,果たして衰え行くものの悲哀や人生の機微が分かるでしょうか?(笑)。滲みないのは,歌に人生経験が足りないから。教わったのではなく掴み取った,実感としての歌心がまだ伴っていないからでしょうねえ。★★★★
Karel Boehlee Trio "Dear Old Stockholm" (M&I : MYCJ-30275)
@yoe Adear old Stockholm Byou and the night and the music Cdon't explain DPoggy Bonzi Ethe silence Fon Green Dolphin Street Ggoodbye Cerbaia HMr.T Igentle brain Jpavane pour une infante défunte
Karel Boehlee (p) Hein Van De Geyn (b) Hans Van Oosterhout (ds)
言わずと知れたヨーロピアン・ジャズ・トリオの初代ピアニスト,カレル・ボエリーさん。1990年代以降はアムステルダム音楽院での教育活動が忙しくなってしまったらしく,録音は激減してしまいました。失礼ながら二代目のマーク・ヴァン・ローンに感心しなかったこともあり,ついつい判官贔屓の虫が疼いた小生は,以前から何とか録音してあげて欲しい旨ほうぼうで書いたもんでした。そんな彼も,ここ数年落ち着いたのか,ロイ・ダッカスやジェシ・ヴァン・リュラーのサイドメンとしてちょろちょろ顔を覗かせ,円熟味を増した丸く落ち着きのある打鍵で健在を示すようになっていました。軟弱な売られ方をしたせいで軽く見られた彼ですけれど,演奏のセンスも作編曲力も一流。機会さえ与えられればすぐ汚名を晴らすことは容易に予想できることでした。さすがM&Iさん,抜け目なく連続録音を始めたようですねえ。太鼓が便利屋オースターホウトに変わった以外は,実質的にヨーロピアン・ジャズ・トリオの延長線。掉尾にラヴェルのパヴァーヌを入れ,有名スタンダードが4編絡むおよそ半分の体裁は,製作陣の思惑が多少ならず入っておりましょう。しかし,今回ばかりは彼も自己主張。くだんの前歴の呪縛から解放され,残る6曲(@DEGHI)は持ち前の作編曲力を活かしたオリジナルで勝負。安直な二番煎じに墜ちない姿勢が素晴らしいと思います。欲を言えばもう少し自己主張の部分で,即興・編曲とも練り込めていたらなお良かったのですが・・安心して聴ける好トリオ作ではありましょう。さすが裕福な日本人。録音もリッチで好感度大です。★★★★
The Dobrogosz Quartet "Duckwalk" (Dragon : DRCD 300)
@duckwalk Ago Bdown south CAmerican green Dhoney do Einnocents FElvis Groad song Hodor of love Ithe wild bird flies
Dave Wilczéwski (sax) Steve Dobrogosz (p) Olle Steinholtz (b) Magnus Öström (ds)
1981年にアリルド・アンデルセンの『ライフラインズ』で注目を浴びたリーダーは,数年前にひっそり『エボニー・ムーン』という自作のピアノ小品集を発表し,印象を残した御仁。全編3分程度の素描ながら,端正な打鍵と,北欧ピアノにはない暖かみと懐かしさの漂う曲想はとにかく素敵でした。他の録音はないのかと探してみましたら,同盤に先駆けて制作した四重奏録音を発見。オーソドックスな編成でジャズをやったときどんな音を出すのかと,期待と不安相半ばで購入しました。北欧ズレしたピアニズムとお名前からスウェーデン人かと見紛う彼は,実際には1956年ペンシルバニア生まれのアメリカ人。1978年まではアメリカに住んでいました。ロック調のビートに乗せ,端正な打鍵でブルースやカントリー色の濃いピアノを披露する冒頭二曲には,思わず我が耳を疑いましたし,大半で顔を出すブルースやロカビリー調のピアニズムは,打鍵が端正な彼にはやはり少々場違い。綺麗すぎの感は拭えません。それでも,この人の本性が出るのは三曲目から。どこか郷愁をそそる感傷的なメロディは,紛う方なき「マイ・ソング」の世界。そのBにも負けない美しさをたたえたEやGは,まさしくヨーロピアン・カルテットそのまんまです。同じアメリカの敬愛する大先輩がかつて作った小傑作を,北欧の血を引く米国生まれの彼が異なる視座から再解釈するところに,本盤の面白みはありましょう。いわゆるジャズ的な演奏からは少なからず距離を置いたジャズ・ロックですし,出ずっぱりの木管にハードボイルドながら僅かにヨレが。そんな難点をおして,ジョン・コーツの流れを汲むキースの土臭い側面にスポットを当てたピアニズムを堪能したい方は,一聴の価値があるかも知れません。★★★★
Weber Iago "Os Filhos do Vento" (Adventure Music : AM1015 2)
@pelo mundo afora Athe making of a path Bsonata Brasileira CSara Dprologue: ritual I, II, III Eos filhos do vento: part1, haven; part2, excellence of being; part3, aura lilas; part4, lua nova
Weber Iago (p, vo) Paul McCandless (ob, e-hrn, ss, b-cl) Caito Marcondes (tbla, caxixi, perc, vo) Rogerio Botter Maio, Derek Jones (b) Keith Underwood, Sanai Nakamara (fl) Joanna Blendulf (vc) Paul Van Wageningen (ds)
以前シャルル・ルースの二台ピアノ作品で,主役を完全に食う素晴らしい作曲センスとピアニズムを披露したブラジルの音響詩人ウェーバー・イアゴさん。渡米は1987年ながら下積みが長かったようで,探しても探してもめぼしい音源が入手できませんでした。それもその筈,初リーダー作は2001年。2004年発表の本盤がようやく2枚目の寡作です。かの二台ピアノ盤で予想可能ながら,中身はジャズというより,クラシックやブラジル音楽を混ぜ込んだクロスオーヴァー音楽。Bはジャズの和声と形式を援用したフルート・ソナタ,標題曲は参加メンバー大団円でのブラジリアン・サンバ組曲と曲毎に編成を変え,即興者よりも総合音楽家たらんとするリーダーの姿勢が色濃く出ています。相変わらず作編曲力は当代屈指と言っても良いほど秀抜で,クラシックの高雅な品格を損なわぬよう配慮しつつブラジル音楽の薫りを混ぜ込み,巧みにジャズのフォーマットへ上塗りするセンスの良さは抜群。なにぶん即興が第一義の人ではありませんから,作編曲重度。オーソドックスなジャズ好きには抵抗があるかも知れません。また出ずっぱりのフルートやチェロは,クラシックを聴く耳には音色が冴えませんし,安めな器材による痩せた集音は,お世辞にも良いとは言えません。しかし,音楽的には掛け値なしの一級品。良いときのジェフ・ガードナーと類を同する,みずみずしいリリシズムには溜息ばかり。そういえばガードナーもブーランジェの弟子で,クラシックを良くする人でした。しかもブラジル音楽に傾倒してましたっけね。二人が顔合わせしたら,さぞ素敵なハプニングが起きるんじゃないかなあ。誰か引き合わせてあげませんか。★★★★
Michael Heise "Slow Boat to Cuba" (Cope : CALI 025)
@26-2 Aold devil moon Bbackhome Cslow boat to Cuba Dbanannas Econ alma Fa night in Algier Gscaramouche
Michael Heise (p,rhodes) Nicolai Munch-Hansen, Omer Avital (b) Jeppe Gram (ds) Rune Olesen (perc) Ignacio Guerra Acosta (bata)
1997年のデビュー作『タッチダウン』だけで名前を売ったマイケル・ヘイズ。2001年にライブ盤を発表したところまでは把握していましたが,その後全く音沙汰無し。どうしているのかと思っていましたら,2006年にこっそりとマイナー落ちして,新譜を吹き込んでいました。標題にある通り,本盤ではエレピを多く用いるとともにラテン・パーカッションを重度に導入し,新展開を計っています。恐らく本盤を購買対象にする人の8割は,どこかデビュー直後のラインハルト・ミッコに通じる彼の向こうっ気の強いモード・スタイルと,ロック乗りの骨っぽいアレンジが上手く噛み合った,くだんの初リーダー作をお聴きになっている方でしょう。しかし,本盤の彼はあの彼ではありません。企画のせいも多分にあるとはいえ,呆気にとられるほど,毒気の抜けたピアノを弾いている。妙に垢抜けて理知的になり,音数は抑えめに,タッチは丸っこく変貌。後ろの打楽器群に大きく身を委ね,鋭角的な棘は大きく後退しました。パーカッションに乗せて悠々とスイングする彼に,がっかりされるファンはきっと多いでしょう。けれどそのデビュー盤で,向こうっ気ほどには秀でていないリズム感が,無理なアルペジオでしばしば露わになっていたのを思えば,本盤での彼の変わり身はそうマイナスではないように思います。パーカッションが前に出たトラックが多いことを除けば,オーソドックスなモード・ピアノ盤としてはまとまっている本盤。洒落た和声進行のバラッドBやメルドニアンな変拍子と和声進行が上手に使われたCは個人的にツボでしたし,僅かに太鼓が重いものの各人の演奏技量も良質。出来映えそのものよりもむしろ,購買者側の思惑のほうから,より重度に評価を下されてしまう作品なのではないかと思います。★★★★
Massimo Urbani "Ou of Nowhere" (Splasc(h) : CD H 336-2)
@I'll remember April AAlfie Bthere is no greater love Cout of nowhere Dautumn in New York Eyesterdays Finvitation* Gtenor madness*
Massimo Urbani (as) Giuseppe Emmanuele (p) Nello Toscano (b) Pucci Nicosia (ds) Paul Rodberg (tb)*
現在では専ら,1996年にその名前を冠して創設されたコンペでのみ知られるイタリアのアルト吹きマッシモ・ウルバーニは,1957年ローマ生まれ。元は1968年(11才)からクラリネットを始め,3年後にサックスへ転向。トニー・フォーミチェラに誘われてフォーク・ロックのバンドで演奏しているのを,1972年に丁度新たなグループを結成しようと人捜しをしていたマリオ・スキアーノが見つけて彼のバンドへ抜擢。ブルーノ・トマソやトマソ・ヴィットリーニを擁したこのグループで名を上げた彼は,翌年ジョルジオ・ガスリーニのグループへ加入してエンリコ・ラヴァと邂逅します。残念ながら生前の彼は,極貧に喘ぎながらコンスタントに作品を発表するも評価されず,1993年にオーバードーズ(麻薬)が原因で世を去ってしまいました。渡欧後のフィル・ウッズをご存じの方は,あれをイメージしていただくと一番近い。パーカーを核に,ドルフィやオーネット・コールマンの特殊奏法をアクセントに使って幅を広げたハードなアルト吹きです。本盤は麻薬でヨレヨレになっていた晩年(といっても三十代前半)のもので,既に酔っぱらいの如く音はヨレ,運指もおぼつかないところがちらほら。ピアノも小粒で大人しく,決して諸手を上げて薦められるものとは言い難いです。若い頃の扇情的なスタイルをご存じの方には一抹の寂しさが残ることでしょう。特にBは途中,酩酊して彼の世に片足逝ってしまわれ,蘇生術が必要なヤバさ(笑)。それでも,ロザリオ・ジウリアーニがどっぷり耽溺するのも無理はない,骨の髄までパーカー教に染まりきった音色と,勢い一辺倒で押しまくる吹け上がりはやはり彼ならではです。余談ながら,一昨々年エンリコ・ピエラヌンツィのスペース・ジャズ・トリオと彼が絡んだライブ盤が密かにYVPから発売された模様。これはぜひ聴きたい。★★★★
Rahsaan Patterson "Rahsaan Patterson" (MCA : mcad-11559)
@stop by Aspend the night Bwhere you are Cso fine Dstay a while Ecome over Fcan't we wait a minute Gjoy Hmy sweetheart Ione more night Jdon't wanna lose it Ktears ago Lain't no way Msoul free
Rahsaan Patterson (vo) (g) Glenn McKinney (g, sitar) Tim Pierce (g) Roy Pennon, Kevin Wyatt (b) Jamey Jaz (prog) Jimmy Keegan (ds) Mike Fischer (perc) Keith Crouch (inst., b-vo) Tom Saviano, Steve Madco, Gary Grant, Dave Boruff (horn) et al.
ヒップホップとラッパーがシーンを席巻し,かつてのように多様な音楽を聴けなくなってしまったポップス界から足を洗ったあっしは,最近の斯界は皆目分からなくなってしまいましたが,過去のソウル・ミュージックの遺産を正しく咀嚼したうえで今を生きる新人さんが,こうして小さな篝火を焚いているのを見つけるのは嬉しいもんです。1974年ニューヨーク出身,現在ロスを拠点に活動するリーダーは,すぐ気づいた方もおられるでしょう。ローランド・カークがお名前のルーツ。本家も僅か4年前に名乗り始めたラサーンを実子に付ける親の下へ生まれた時点で,半分人生は決まったようなもの。教会の合唱団で歌い始めたのは6才。その後,曲書きを経て1997年に本盤でデビューを果たしました。とにかくこの御仁,作編曲が達者。シンプルなリフレイン基調ながら,徹頭徹尾そつのない作曲センスも見事で,捨て曲が無い。『迷信』さながらのわにょわにょムーグが入ったCや「ユー・アー・ザ・サンシャイン」風のHは憎らしいほどにスティービーですし,Fではバラード歌いとしてのマイケルを,分厚いアカペラのGではテイク6を巧みに踏襲。どちらかというとボビー・ブラウンっぽい声質ながら,こぶし回しや喉の締め方など,どこを取ってもスティービーへの傾倒は明らかです。冗長な音を削って充分に隙間をとり,生楽器を中心に肉付けするアレンジは,クラブ・ビートとタイトに絡んでセンス良い。近作におけるスティービーの感性が(殊にアレンジ面で)いかに古びてしまったかが,皮肉にも彼を賛美してシーンへと浮上した次世代の手により,容赦なく暴かれる。あゝ「無常」とはまさにこういうことを言うのでしょう。★★★☆



Other Discs

Jordi Berni "Afinke" (Fresh Sound : FSNT 260)
@el último Ala cueva Bafinke Crecuerdo DBrandon Marlon Ebuscando la salida Fairam Gel primero

Jordi Berni (p) David González (b) Xavi Hinojosa (ds) Santi De La Rubia (ts)
いや,ホルヘ・プジョールさん凄いです。アメリカに移っても母国への目配りは抜かりありません。先月号でホアン・モネのトリオのお話をした際,彼が最近テテ・モントリューゆかりのコンペで入賞した話を持ち出しましたが,ここで優勝した新人さんがホルヘ・ベルニ君,1979年バルセロナ生まれの28才です。テテ賞の受賞が2003年で本盤の録音は2005年11月。素早い。恐らく現場で青田刈りしていたに違いない!(笑)・・舞い上がっている彼を捕まえ,その場で契約させたに相違なく,あとはつんくさながら,本人恐らく何も分からん侭に一枚できちゃったと思われる。何しろカタルーニャ音大時代の師匠モネに勝った新人のデビュー作ですから!どんだけ上手いのか気になるじゃないですか?誰も毒味せんでしょうからあっしが,ってことで購入です。しかし,結論からいうとややがっかり。グループを組んでるってことは気が合うのでしょう。しかし,演奏のほうは息が合ってません。ベルーニはモネをモーダルにしたタイプで素敵。曲書きとしても魅力的なんですが,テテ賞に優勝したとは思えないほど小粒。そのくせ妙にアップテンポでパラ弾きしようとの欲目が先行。リズム感が甘いのに,かっちりしたリフ・チューンを何曲も急速調でやってしまい,悪いところばかり目立ってしまう。これに輪を掛けてリズム隊も小粒。拍子を刻むのに必死で,ビートが扁平かつ硬い。ピアノとリズムのこのちぐはぐ感がすっかり演奏を窮屈にしてしまいます。一番の拾いものは1984年ヴァレンシア出身のテナー。ペレス音楽院を経て2006年にカタルーニャ音大を卒業。ペリコ・サンビートやクリス・チークの指導の下,伸びてきたベルーニの後輩です。くすみのある柔らかいトレーニズムはチークの流れ。音色もフレージングもいい・・んだけど,彼もアルペジオが重く,せかせか乗りは向かない人なんだよなあ。皆さんもうプロなんですから。聴き手は審査員じゃないんです。無理なひけらかしは止めて,もっと自分に合った歩幅でゆったり行きましょうよ・・と血気盛んな若いのに言っても駄目か。それってプジョールさんの仕事でしょうに。ちゅーかアナタまたこんなショボい録音で・・ぜんぜん懲りてないなあ。★★★☆
Think Twice "Joy is Free" (Internal Bass Productions-EMI : TOCP-8582)
@got to keep moving Aheaven in your eyes Btrust in you Cdon't blame me Djoy is free Elove forever Fwaiting for you Glove don't let me down Hon my own IStaten island groove
Paulette Ivory, Judy LaRose, Sarah Warwick (vo) Livingstone Brown (b) Simon Greenway, Stuart Wade, Chris Morgans, Jason Creasey (prog)
さあさあ今週も100円の芥溜めから昨日の若者文化を見つめて参りましょう。1995年に出た本盤は,既に斜陽を迎えつつあったアシッド・ジャズのブームに乗って浮上した5人組のデビュー作。当時,完全にポップスから足を洗っていた私は浦島でしたが,まだ渋谷系が死語ではなかった日本では結構流行ったみたいです。実際,打ち込みで手抜き感満載ながら楽曲は驚くほど粒が揃っていて,商用ポップスとして聴くならかなり出来は良いのではないでしょうか。音的にはアシッド・ジャズの流れを汲んだ打ち込みクラブ・ミュージック。しかし,音作りの理念といいますか,姿勢は似て非なるものです。インコやニュートーンなど斯界で看板を張っていた連中の殆どは,上手下手はともかく,みなバンド志向。ファンクやモータウン・ソウルの伝統に根ざしたうえで,それを今日的なクラブ・サウンドで味付けしようという意識(Rootedness)がありました。しかし,ここでのジャジーな上ものはあくまで味付け。コード進行もポップで簡素な反復のみ。中央の歌姫と電化されたビートで聴かせる趣向です。インコたちがモータウンやファンク,ジャズのなんちゃって君だとすれば,それを再び商業主義の方向からなんちゃって化した,理念なきダンス音楽。本質的な部分で依って立つものが違うんでしょう。問題は,メンバーの大半がプログラマーでしかない,なんちゃってグループなのに,どういうわけか男連中は自意識過剰。どう見ても中央の歌姫しか認知されないジャケットのくせ,インコ気取りで曲毎にヴォーカル差し替え→次作でクビってそりゃ自殺行為ですがな(苦笑)。2年後にもう一枚アルバムを出したようですが,それっきり消滅。AMAZONの中古盤価格はこんなことになってます。★★★☆
Edyta Górniak "Edyta Górniak" (Pomation EMI : 7243 8 21837 2 3)
@anything Aif I give myself up to you Bperfect moment Cwhen you come back to me Dbe good or be gone Eone and one Flinger Gsoul boy HI don't know what's on your mind Ithe day I get over you Jmiles and miles away Kthat's the way I feel about you Lgone

Edyta Górniak (vo) Steve Pigott (prog) Robbie Macintosh, Hugh Burnes, Tim Renwick (g) Peter Gordino (p) Phil Todd (sax) Peter Vanhooke (perc) Chris Neil, Pam Sheyne, George Merill, Shannon Rubicam, Eliot Kennedy (b-vo) et al.
「・・誰?」。知らないことで買う気にさせる,それがみんなの100円売り場。折に触れ巡回しては浮き世の昨日をのぞき見ていますと,時には「これ買ったやつ,一体何を期待してゼニを払ったんじゃろ?」と好奇心をそそらずにはおかないものを拾ってしまうことがございます。「ゴルニアック」なるお名前から,間違いなく英語ネイティブではないこの女性,正体は1972年生まれのポーランド人でした。14才で自分のバンドを組み,テレビの歌唱コンペ荒らしを経て1993年に【バルチック歌唱コンテスト】で第三位。翌年には【ユーロヴィジョン歌唱コンテスト】で準優勝。同年に発表したデビュー作はポーランドで年間最多売り上げになったそうな。本盤はそれに続く国際デビュー作となったもので,やはりポーランドでは15万枚(世界で20万枚)売れたとか。ポーランドのマライヤと呼ばれているらしい彼女ですが,音作りも声質もむしろセリーヌ・ディオンにそっくり。ほら,彼女がタイタニックのテーマ曲とか「パワー・オブ・ラブ」を,ハウス乗りで「スッチキスッチキ」にしたやつ,スーパーなんかでお聴きになったことありません?本盤の音はまさにあれです(笑)。と思ったら,本盤の製作陣名簿にクリス・ニールの名前。あれれ?セリーヌの中の人じゃあ〜りませんか。そりゃ似るわけだと一気に萎える。ちなみに本盤,歌詞とスタッフの名前以外,ぜーんぶポーランド語。全く読めません。こんな御仁を極東で目ざとく見つけだし,ほぼリアルタイムで買ってた前所有者は大したもんです。何が大してるかは良く分からんけど大してます。★☆
Curiosity "Back to Front" (BMG : 74321-16657-2)
@work it out Ahang on in there baby Bgimme the sunshine Cvibezin' Daddict Ekilling me softly Fcall on me Ggimme the sunshine: Ron's reprise Hmusic's a mistery Ispice it up Jfall in again Kwork it out: album version

Ben Volpeliere-Pierrot (vo) Julian Blookhouse (g) Migi Drummond (ds) Misty Oldland (b-vo) Ron Tom (prog)
「好奇心が猫を殺した」が実際に起きてしまう今では,すっかり忘れられた英国のグループ,キュリオシティ・キルド・ザ・キャットは,モデルをやってた4人が結成。スチュワート・レヴィンの肝煎りで1986年にデビュー曲「ダウン・トゥ・アース」を出し,全英チャート3位。勢いを得てデビュー作『キープ・ユア・ディスタンス』を制作し,当時は日本でもCMに取り上げられたりしてちょこっと有名になりました。2年後には2枚目を発表し,1枚目ほどではないもののそれなりにヒット。どう見ても売れ方はアイドルのそれだったんですが,彼ら自身はすっかりアーティスト気分満々。そのギャップが程なくレーベルとの確執を生み,これからという時に移籍騒動をやらかします。本盤はその騒動を経て,1994年に制作された三枚目。復帰シングルAこそ話題性で売れたものの,移籍先がご希望通り売り込みを掛けないどころか,この一枚で放り出す無慈悲な会社だったのは,本望だろというか可哀相というか。また沈黙中に,シーンがアシッド・ジャズへシフト済みだったのも運の尽きでしたねえ。確かに限りなく嘘モノ臭いキッチュな音なんですけど,今にして思えばアシッド・ジャズの先鞭を付けたのも,彼らブルーアイド・ソウルの(=青い目の白人だけど,ソウル音楽大好きな)連中でした。お声の細さも含め,持てる資質はまるで黒人音楽に向かないのに,黒い蠢動と野太いだみ声が好きで溜まらなかった彼ら。ルーツへの叶わぬ恋慕と,音楽へのひたむきな思いが詰まった本盤。出来不出来を超えたところで,聴き手の肯定的な感情を呼び起こす何かを含んでいるのも,また確かです。★★☆






(2007. 5. 31)
脱稿:2007年5月30日 15:22:43

編集後記



最近,瞬間接着剤で
くっつけては,騙しだまし使ってきた
愛用の草履の鼻緒が切れた。
いつ不吉なことが起こるかと思っていたら,

通りすがりの女性が一言。
「いい加減その草履捨てましょうよ〜」


さらに後輩にまで
「その草履と同じヤツ,こないだ いなげやで見ましたよ」

「ボンドのほうが高いんぢゃないですか〜?(笑)」



・・お前らまとめてハラスメント窓口に言うぞ?
な,ぷ〜れんでございます。皆様もお変わりなく。




今月は久しぶりに,著作権絡みで
信じがたい出来事が立て続けに起きました。
もはや一部の人間だけに関する話ではなくなりました。
ぜひ知っておいてください。早晩あなたも巻き込まれます。

<音楽保存サービス>ストレージ利用は著作権侵害 東京地裁
5月25日20時39分配信 毎日新聞

 インターネット上にデータを保存する「ストレージ」を利用し、ユーザーが自分のCDなどの音楽データを保存、いつでも携帯電話にダウンロードして聴けるサービスの提供が著作権侵害に当たるかどうかが争われた訴訟の判決で、東京地裁(高部真規子裁判長)は25日、著作権侵害に当たるとの判断を示した。
 問題のサービスは、情報通信会社「イメージシティ」(東京都台東区)が05年11月から始めた「MYUTA」。ユーザーは音楽データをパソコンから同社のサーバーに保存し、携帯電話へのダウンロードはユーザー本人しかできない。
 このサービスに対し、日本音楽著作権協会(JASRAC)は著作権侵害だと指摘。同社はサービスを中止したうえで、同協会を相手に著作権侵害に当たらないことの確認を求めて提訴していた。
 訴訟で同社は「実質的にデータ複製や送信をするのはユーザー自身。不特定多数への送信はしておらず、著作権は侵害しない」と主張したが、判決は「システムの中枢になるサーバーは同社が所有、管理しており、同社にとってユーザーは不特定の者。複製と公衆(不特定多数)への送信の行為主体は同社だ」と判断。協会の許諾を受けない限り、著作権を侵害すると認定した。【北村和巳】(典拠
音楽ファイルだけではない。メールや添付ファイルなどの電子データは全て該当。
とにかくネット上に一時保存できるサービスはぜーんぶ違法になるそうです。
ネット上に置いてあるあらゆるデータ(私文書を含み,音楽データに限りません)は,
喩え第三者が閲覧できなくても,置ける仕組みを作っただけで著作権法違反。


ちなみに原告側のイメージシティ社については
以下の指摘にも触れておく必要があるでしょう。
--------------------

2005年
4月
コンピュータシティ社,ソフトウェア開発部門および技術者派遣事業をエム・オー・シーに移管
2005年
6月 1日
インフォコムグループの連結子会社に(インフォコム社より,関連子会社の社長を務めていた橋通明が社長に就任)
2005年
11月15日
MYUTA-βサービス開始
2006年
1月 1日
コンピュータシティ → イメージシティに社名変更
2006年
4月12日
JASRACの指摘でサービス中止 → イメージシティ,JASRACに著作権侵害に当たらないことの確認を求め訴訟
2007年
5月25日
東京地裁(高部真規子裁判長)著作権侵害に当たるとの判断を示す

これが本当ならこの会社は確信犯。J@SRACと一蓮托生
このまま地裁判決を確定させる可能性があります。
可能性があるなら課金,が彼らのやり口なのはご承知の通り。
確定したら最後。データのアップロードや一時保存が可能な
ウェブメールや掲示板,ストレージサービスのほとんど全ては死亡です。
またサーバーやルーターなど,データ保存の機能を持つハードウェアもアウト。
日本のインターネット社会に暗黒の時代が訪れるでしょう。

2006年度の音楽著作権使用料は1,110億円、CD低迷で減少〜JASRAC
iPod課金の必要性や著作権保護期間延長を訴える

日本音楽著作権協会(JASRAC)は16日、2006年度の事業報告説明会を開催した。
同年度における音楽著作権使用料の徴収額は1,110億9,800万円で、前年度から2.2%(24億9,100万円)減少した。徴収額が前年を下回ったのは、2001年度に続き2度目。

加藤衛常任理事は、「音楽CDなどオーディオディスク分野が伸び悩んでいることが最大の原因」と語る。来年度の徴収額についても、音楽CD売上の減少などを見越して、2006年度を下回る1,103億7,000万円としている。 (典拠
並行輸入禁止をあんだけごり押しした理由は何だったのか。
CCCD作るとき,こういう連中は何と言っていたのか。
全てをお望み通りにできたにもかかわらず,売り上げは増えるどころか下降線。
その責任は,誰も取らないのだろうか。
で,相変わらず悪いのは
買ってくれるはずの消費者ですかそうですか。

携帯にゲーム,インターネット。娯楽はどんどん増えているのに
それで落ちた売り上げを庶民の不正のせいにし,
自分たちは変わる努力を怠った。

で,庶民から音楽を遠ざけるような政策ばっかやってきた。
(外資系レコード店の撤退もじわじわ始まってます)
触れる機会が減れば関心が失せる。
窮屈でめんど臭いものには誰だって近寄りたくない。
当たり前のことじゃないですか。

第8回知的創造サイクル専門調査会 議事録 (引用元

----前略----
○藤田次長 先ほどの資料2の12ページをごらんいただきたいと思います。
・・『2つ目は15ページでございまして、「著作権法における「親告罪」の見直し」でございます。親告罪というのはこの四角の次のところに書いてございますけれども、被害者が告訴しなければ公訴を提起することはできない罪ということでございまして、例えば過失侵害ですとか、名誉棄損ですとか、あるいはストーカー被害ですとか、そうした犯罪については親告罪になっております。それで、現在著作権の侵害についても著作権法上、親告罪とされているわけでございます。」
 「ただ、同じ15ページの下の方をちょっとごらんいただきますと、例えば海賊行為が非常に巧妙になっていたり、あるいは権利者の関係が複雑になっていて、告訴権者による侵害の立証、関係者の調整が困難、あるいは負担が大きな場合が出てきている。あるいは、中小企業やベンチャー企業にとってはなかなか告訴をする人的、資金的な余力がないという場合もあること。あるいは、親告罪というのは刑事訴訟法によりまして犯人を知った日から6か月を経過してしまいますと告訴が不可能になるということで、いろいろ立証の準備をしているうちに6か月を経過してしまうような事態も起こり得るということから、この際、親告罪ではなく非親告罪とするということを検討してはどうかということであります。 ちなみに、ほかの国の立法令を見てみますと、アメリカなどは17ページのところに書いてございますが、職権起訴が可能である。あるいは、ドイツは原則親告罪なのですけれども、特別な公益上の必要を認めた場合には職権起訴が可能であるというようなことで、EUの指令も同じような提案が今なされておりますので、国際的な調和の観点からもおかしなことではないと考えられるのではないかということでございます。』(下線部は当方付加)
著作権法違反が非親告罪になるということは,
第三者(警察・司法)が,著作権侵害とみなした行為者を
逮捕・密告・立件することができるということを意味します。

しかし一般的な刑法犯と違って,著作権は
違法(模倣・剽窃)かどうかの境界が曖昧です。
のまネコが良い例。

明確な規定もないまま,第三者に逮捕権を与えたら
権利を行使する側が,勝手な判断で著作権違反とみなした者を
逮捕できる。恣意的な運用が進むのは明らかでしょう。

今でさえ,J@SRACは原著作者になり変わって,
こんな事こんな事をしている状況です。
言いがかりで課金できることを,彼らが立派に証明している。
---------------------------------------------------------


@もし1.の判決に対し,原告側の控訴がない場合,この判例が確定します。
Aさらに,3.で非親告罪化が実現すれば,原著作者でなくとも
 要はJ@SRACが直接,告発できるようになります。

日本のネット界は中国より酷い密告社会・情報統制社会になるでしょう。
J@SRACと官憲により,あらゆるウェブサイト,ウェブサービスは潰されます。
いち個人では,そう裁判を維持できませんからね。
そういう社会になったらもうお終いです。
言いがかりで課金される前に,私も去らざるを得ません。
全ての人が去り,駆逐された後に,残されるのは何でしょう?
彼らの望む,理想的な著作権遵守社会が訪れるのか
誰も近寄らずペンペン草も生えない,不毛な電影荒野が残るのか。
それならそれで,面白い見せ物なのかも知れない。
著作権の本質について議論する土壌は,恐らく
いったんそこまでぼろぼろにならないと,生まれないでしょう。





<規制改革会議>提言内容判明 最低賃金上げに事実上反対
(毎日新聞 2007年5月20日 3時00分)

 内閣府の規制改革会議(草刈隆郎議長)の再チャレンジワーキンググループがまとめた労働分野に関する意見書の全容が明らかになった。解雇規制の緩和や労働者保護の法的見直しなどを挙げている。安倍政権がワーキングプアなど格差解消に向け取り組む最低賃金の引き上げについては「賃金に見合う生産性を発揮できない労働者の失業をもたらす」と事実上反対している。同会議は週明けに公表し、3年間かけて検討するが、労働者保護の撤廃を中心とする内容に労働側の反発が予想される。

 報告書は、労働分野の問題について「労働者保護の色彩が強い労働法制は、企業の正規雇用を敬遠させる。労働者の権利を強めれば、労働者保護が図られるという考え方は誤っている」と指摘。最低賃金引き上げや、労働時間の上限規制などを疑問視している。

 女性労働者については「過度に権利を強化すると、雇用を手控えるなど副作用を生じる可能性がある。あらゆる層の労働者のすべてに対して開かれた平等な労働市場の確立こそ真の労働改革だ」と表明している。

 具体的には(1)解雇規制の見直し(2)労働者派遣法の見直し(3)労働政策立案のあり方の検討−−を掲げている。(1)は人員削減の必要性など解雇の要件が厳しく、使用者の解雇権や雇い止めが著しく制限されているとして、規制緩和の検討を打ち出した。また、労働契約法案に盛り込むことが見送られた解雇の金銭解決についても試行的導入を検討するとしている。

 (2)では禁止されている港湾運送や建設、警備などへの派遣解禁、派遣期間(最長3年)の制限撤廃を提言。(3)では労使が調整するやり方からフェアな政策決定機関にゆだねるべきだとしている。

【東海林智】 (毎日新聞
-------------------------------------------------

賃金は据え置きのまま,解雇条件を緩和し,
派遣できる分野を増やそうとしている。弱者虐めでなくて何でしょう。
いずれ国家公務員以外は全部派遣になりかねない勢いだ。
ニーメラーの告白が脳裏を過ぎります。


自称「年金記録漏れの救済策」が今頃出てきたところを見ても
政府が誰を次の得票ターゲットにしているかは明らかです。

就職氷河期を過ごした世代にとって,
こういう連中はもう,はっきりと「敵」ですね。
派遣期間の3年制限を今の状況で撤廃したら,
現在派遣で働かされている氷河期世代が正社員になって
経済的・社会的に安定する道は,閉ざされたも同然です。
再チャレンジなんて,出来なくなるに決まっているでしょう。
格差の固定化を全力で進めておいて再チャレンジとは片腹痛い。

・・そもそも「再チャレンジ」とは誰のチャレンジだったのか?
ますます分からなくなってきた。




女性の皆さんは,胸の悪くなるような話です。
予めごめんなさい。

■事例1
http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/070516/jkn070516013.htm
大阪・ミナミのステーキチェーン店「ペッパーランチ」心斎橋店(大阪市中央区心斎橋筋)で、食事中の20歳代の女性客を拉致して乱暴したとして、大阪府警南署が強盗強姦(ごうかん)と逮捕監禁致傷の疑いで、同店店長の北山大輔(25)=大阪府泉佐野市=と店員の三宅正信(25)=大阪市西成区=の2容疑者を逮捕していたことが16日、分かった。
 2人は犯行を認めており、「女性をかこっておくつもりだった。インターネットでスタンガンや睡眠薬を購入し、店に来る女性客を物色していた」と供述している。


■事例2
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20070422k0000m040054000c.html
 大阪府警淀川署は21日、JR北陸線の富山発大阪行きの特急「サンダーバード」の車内で昨年8月、大阪市内の会社員の女性(当時21歳)に暴行したとして、滋賀県湖南市石部南、解体工、植園貴光被告(36)を強姦(ごうかん)容疑で再逮捕した。当時、同じ車両には約40人の乗客がおり、一部の乗客は異変に気付いたものの、植園容疑者にすごまれ、制止できなかったという。植園容疑者は、昨年12月にも同様に車内や駅構内で女性に暴行したとして今年1月、滋賀県警に逮捕され、強姦罪などで現在公判中。


どこの国の話かと思いました。
無法地帯ですね,もはや。安心して電車にも乗れず飯も食えない。

こういう事件を見るたびに思うんですけど,
どうして刑罰って牢屋と死刑と罰金刑しかないんでしょう?
時効制度と同じくらい意味わかりません。

ひと昔前は刑罰ってバラエティ豊かだったんですよね。

少なくとも性犯罪と詐欺犯罪については,
刑罰を多様化してもいいんじゃないかなあ・・

再犯率の高い性犯罪(含むストーカー)については,少なくとも再犯および再犯の恐れがある確信犯や常習者は去勢する(たまきんを取れとは言わないが,ホルモン注射するとか,貞操帯を強制着用とか)。それが人権蹂躙だというなら,GPSを付けて監視下に置き,行動エリアを制限。あるいは周辺住民が匿名情報として近くに性犯罪者がいるかいないかをモニタできる(もちろん表示精度を少し下げれば,個人の特定は難しくできます)。一生衆人の監視下に置くという条件付きで,他の刑罰の執行を猶予するのと選択制。

お金かかんないですよ。地理情報システムと連動させて,地図上の任意の範囲から出たら警報が鳴るようにしておくだけ。チップを加害者の脳内に埋め込んでおけばいい。それこそ派遣の保守管理を数名常駐させれば,あとは警邏隊にお任せ。枠内から出たら即逮捕。表示なんて,みんなの携帯電話の機能で充分。

人権先進国?の欧米でも似たようなことやってるんですから。
きっと人権にも配慮した結果なんでしょう。グローバルスタンダードにも合致。

詐欺犯については,人のお金をだまし取ったわけですから,
盗った物は返す。これ常識。詐欺犯だけ免除なんてあり得ません。
よって,1億だろうと100億だろうと,盗ったお金については無限責任を負う。
会社の社長さんだって倒産したらそうします。増して犯罪者じゃないですか。
そこで,刑務所は今後,弁済金を稼がせる場所にする。
矯正目的でなく,利潤目的で営業。
犯罪者が派遣より好待遇なんて許せません(笑)。

例えば
牢獄には入れない代わり,官営のマグロ漁船を就航させ,これに放り込むとか。
舟の上への流刑ですね。あれは儲かるらしいですから,それに乗ってもらい
返済できるまで強制労働。ああ,離島に缶詰工場作るなんて良いですね。
蟹工船だ。どっひゃー。

キツイってんなら,陸上でもいいですよ。
刑務所のレパートリーを増やし,自治体のダム工事やビル
解体現場などの肉体労働を請け負うエグい刑務組織を作っちゃう。
ここで詐欺った金額を返すまで強制労働。
もち,大事な仕事は任せられませんから,
やるのは荷運びでしょうな。キツイですよ,これは(肉労経験者談)。
えげつない犯罪を犯した犯罪者は,受ける刑罰もえげつないと。

でも過去の刑罰と違うのは,あくまで「更正」や「見せしめ」ではなく
「弁済」のために刑務を行う点です。お上は執行するだけ。
更正するかどうかは,結局受刑者の心の問題ですからね。
究極的には,本人の意志。誰も立ち入れませんよ。

弁済刑なら,彼らは稼いだお金で被害者に弁済が出来るし,
被害者は受け取りたくないなら拒否できる。
最終的に拒否されたら,さらに刑務が延長とかいいですね。
そうなったら被害者も裁きに加われるわけだ。ある意味修復的司法
お上の側は社会復帰のためでなく,彼ら自身で務所の生活費と
被害者への弁済費を捻出させる。これで維持費を大幅節減。
浮いたぶんを高齢者福祉にでも回せば,ゼネコンを潤すより
ずっと有意義かつ効率的な税金運用ができるってもんです。

上記の入谷論文には
「・・いずれの場合も拷問本体の目的は忘れ去られ、処刑は群集を楽しませるための純然たる見世物となった。ここに犯罪に対する抑止力としての効果があったとは言えないだろう。十八世紀イギリスの刑罰は厳しかったと言われるが、犯罪発生率を減らす効果は少しもなく、それどころか拷問や処刑が多くなればなるほど、犯罪も増加した。」
そうあるじゃないか・・と仰る方もおりましょう。
けれどこの著者は,拷問の緩和に発生率を下げる効果があったとも書いていない。

刑罰はそもそも,「お上が被害者から,直接加害者を罰する権利を取り上げ,
代わりに執行する」ものです。抑止的効果を期待するのはお上の事情であって
被害者の事情ではないわけだ。

1.被害者が,加害者に奪われたものを,何らかの形で弁済させること
2.おこなう刑罰の違いによって,抑止効果がどう異なるかの検討

二者は,混同されるべきではないんじゃないでしょうか。
多分2.については,事後の刑罰では既に時遅く,加害者になる心づもりを
そもそも持たないようにする策(徳育を重視するとか)のほうが大事なんでしょう。

刑罰の少なくとも一部は,
「加害者以外の予備軍への見せしめ」(抑止的効果)よりも,
「やったやつは,やったことに責任を取ること」(弁済の適正履行)。
それをお上が厳正に監督すること。
その代わり国民は,仇討ちする権利をお上に返上する。
そういう性格のもんであって良いんじゃないですかねえ。

念のため申し上げますが,
全ての刑罰をこれにしろと言っているわけではありません。
取り敢えず詐欺犯と,性犯罪者だけ。他にもあるかも知れませんが
それについては本稿の守備範囲外なので触れません。





草履は新調しました

いなげや如きではない!なんと専門店で購入したのだ。
ありがとう靴流通センター。ありがとう380円。


それではまた次号,
しぃゆうあげぃん。

ぷ〜れん敬白 

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